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金沢地方裁判所 昭和32年(行)2号 判決 1959年10月09日

原告 山城キヨ

被告 金沢国税局長

訴訟代理人 林倫正 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和三二年三月五日なした原告に対する昭和二九年度贈与税決定に対する審査請求棄却の決定はこれを取消す。昭和三一年五月三一日小松税務署長が原告に対しなした昭和二九年度贈与税決定額金一五二、五〇〇円並びに無申告加算税金三八、〇〇〇円の賦課決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、原告は訴外山城証券株式会社の株主(九〇〇〇株)であるが、昭和二九年四月の資本金五、〇〇〇、〇〇〇円(一〇〇、〇〇〇株)増資の際、内一七、〇〇〇株(金八五〇、〇〇〇円)を引受けこれが払込をなしたところ、小松税務署長は、不法にも右増資払込金八五〇、〇〇〇円は原告が訴外山城礼班より贈与を受けたものとして、昭和三一年五月三一日贈与税額金一五二、五〇〇円並びにこれが無申告加算税額金三八、〇〇〇円を原告に賦課決定してきた。ところが前記増資払込金は右山城礼班より贈与を受けたものでなく、原告の特有財産の内骨董品(原告が訴外山城礼班と婚姻する際、礼班の実兄より贈与を受けたもの)を訴外江原淳へ売却して得た代金をもつて右払込に充当したものであるから、原告が同年六月二日再調査の請求をなしたのに対し、同税務署長は同年一二月六日これを却下した。そこで原告は同年同月一五日被告に対し審査の請求をなしたが、被告は昭和三二年三月五日付をもつて右請求を棄却する旨の決定をなし、同月六日その通知書が原告に到達した。よつて原告は請求の趣旨記載の判決を求めるため本訴請求に及んだものである。

と述べ、原告の主張に反する被告の答弁事実を否認し、

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、原告が訴外山城証券株式会社の株主で、昭和二九年四月の増資の際、一七、〇〇〇株(金八五〇、〇〇〇円)を引受けこれが払込をなしたこと、小松税務署長が原告が訴外山城礼班より増資払込金八五〇、〇〇〇円の贈与を受けたものとして昭和二九年度贈与税について取得財産価額金八五〇、〇〇〇円、贈与税額金一五二、五〇〇円、無申告加算税金三八、〇〇〇円の決定をなし、昭和三一年五月三一日原告に通知したこと、昭和二九年度贈与税の決定忙対し、原告が昭和三一年六月二日付をもつて同月四日小松税務署長に再調査の請求書を提出したこと、原告が被告に対し審査請求(いわゆる「みなし審査」の請求)をなしたが、被告がこれに対し昭和三二年三月五日右請求棄却の決定をなし、原告がこれが通告を受けたこと、原告が訴外山城礼班の妻であること、は認めるが、その余の事実はこれを争う。

二、原告は訴外山城証券株式会社に対する前記増資払込金は原告自身の力で蓄財してきたものであると主張するけれども、次に述べる事由により、右主張は理由がない。すなわち、

(一)  原告の資産としては、肩書地所在の土地一筆(三四坪四二)建物三棟(延建坪五二坪)、山代町字山代一五の六所在の畑一一坪の外に不動産はなく、(しかもその不動産も原告が訴外山城礼班より贈与を受けたものである)他に動産としてみるべき預貯金等は全くない状態である。そして原告の右新株払当時の生活費は旦雇(呉服屋或は他家の手伝)による賃金収入に依存しているものであつて、その余の不足分を夫である右礼班よりの仕送りによつて補充している。したがつて原告の所有する右不動産より前記払込金を捻出することは全く不可能であり、且つ生活状態から判断して払込金に相当する金額の収入があつたとは到底認められない。

(二)  原告は右訴外礼班と婚姻の際、右礼班の実兄より母の形見として受けた骨董品(高麗焼花瓶)を訴外江原淳に売却し、その代金をもつて前記増資の払込金に充当したと主張するが、右礼班は昭和二四年三月頃右骨董品を訴外江原淳に金.一、二〇〇、〇〇〇円で売却し、この代金を礼班の営む事業の資金に使用したと主張しているので、もしそうであるとすれば、骨董品売却の時期と昭和二九年四月の増資払込の時期とのずれ、及び売却代金を右礼班が使用した点から判断して、原告が右売却代金をもつて増資の払込をなしたとは信じられないから、原告の主張は理由がない。

したがつて他に特段の事情が存在しない以上、原告の右払込金は夫である礼班から贈与を受けたと認定することは当然であつて、被告の処分にはなんら違法はない。

と述べた。

立証<省略>

理由

一、原告が訴外山城証券株式会社の株主で、同社の昭和二九年四月の資本金五、〇〇〇、〇〇〇円(一〇〇、〇〇〇株)増資の際、内一七、〇〇〇株(金八五〇、〇〇〇円)を引受けこれが払込をなしたこと、小松税務署長が原告が訴外山城礼班より増資払込金八五〇、〇〇〇円の贈与を受けたものとして原告の昭和二九年度贈与税について取得財産価額金八五〇、〇〇〇円、贈与税額金一五二、五〇〇円、無申告加算税金三八、〇〇〇円の決定をなし、昭和三一年五月三一日原告に通知したこと、この決定に対し原告が昭和三一年六月二日付をもつて同月四日小松税務署長に再調査の請求書を提出したこと、被告が昭和三二年三月五日付をもつて原告の審査請求を棄却する旨の決定をなし、同月六日その通知書が原告に到達したこと、原告が訴外山城礼班の妻であること、は当事者間に争いがない。

二、先ず証人代継瀬録の証言並びに同証言によつて真正に成立したものと認める乙第一五号証の一、二、証人山城礼班の証言を総合すると、昭和二九年四月一三日訴外山城証券株式会社が一〇〇、〇〇〇株金五、〇〇〇、〇〇〇円を増資するに際し、訴外山城礼班は同日日頃利用している金沢信用金庫車庫前支店におけるその妾訴外小川千代江の普通預金口座から現金五、〇〇〇、〇〇〇円を払出し、これに対し振出された同支店振出の金五、〇〇〇、〇〇〇円の保証小切手を増資取扱機関である住友信託銀行金沢支店に払込んだものであること、その際、右礼班がうち一七、〇〇〇株金八五〇、〇〇〇円を原告山城キヨ名義としたものであることが認められる。証人中村一の証言中、右認定に反する部分は前顕反対証拠と対比してたやすく措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

三、次に原告の資産状況を考えるに、成立に争いない乙第一号証の一ないし三、証人村井朗の証言によつて真正に成立したものと認める乙第七号証、証人山城礼班の証言、同証言によつて真正に成立したものと認める乙第八号証、証人山城小太郎の証言、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告が訴外山城礼班と婚姻の上、昭和四年その届出をなしたが、その後昭和一六年頃からは別居するに至つたこと、原告の資産としては、原告所有名義の山代町字山代一六の一番の一一所在の宅地一筆三四坪四合二勺、建物三棟(延建坪五二坪)の外、めぼしい動産なく、その他預貯金等は全くないこと、原告の右新株払込当時の生活費が呉服店その他の旦雇による賃金収入に依存していたものであり、その余の足らない分を夫である訴外山城礼班よりの仕送りによつて補充していたこと、昭和三〇年一一月頃からは前記建物の階下を一ケ月金一〇、〇〇〇円で賃貸し、その収入で生活していることを認めるに足りる。他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

四、右二、三の認定事実によると、原告が昭和二九年四月一三日当時金八五〇、〇〇〇円もの金員を支出できる状況にはなかつたことが認められるから、他に反証なき限り訴外山城礼班が右金八五〇、〇〇〇円を贈与したものと認めるのが相当である。

五、ところで原告は、訴外山城礼班と婚姻した際礼班の実兄より贈与を受けた骨董品高麗焼花瓶を訴外江原淳に売却して得た代金をもつて前記増資払込金八五〇、〇〇〇円に充当したと主張するのでこの点について考察する。証人村井朗の証言によつて真正に成立したものと認める乙第一一号証(江原淳に対する質問応答書ーー昭和三二年一月三一日附)によると、「訴外山城礼班が高麗焼の花瓶三本を箱に入れて東京の訴外江原淳の店に持つてきたので、同所で右江原が買取り、そこで代金として現金一、二〇〇、〇〇〇円か一、三〇〇、〇〇〇円を支払つた」とあり、真正に成立したものと認める乙第一四号証(江原淳に対する質問応答書ーー昭和三二年九月二五日附)によると、「訴外江原淳が訴外山城礼班から高麗焼花瓶二本を金一、二〇〇、〇〇〇円で買い、東京で内金二〇〇、〇〇〇円を支払い、山代町で金五〇〇、〇〇〇円か金六〇〇、〇〇〇円を支払い、山代町で現物を受取り、その残金は東京で支払つた。右江原はうち一本を画家を通じアメリカ人に金八〇〇、〇〇〇円で売り、他の一本を東京に預けてある。」とあり、証人江原淳の証言(昭和三四年六月一二日附)によると、「江原が高麗焼花瓶二本を金一、二〇〇、〇〇〇円で買い、内金二〇〇、〇〇〇円を東京で礼班に渡した。うち一本は東京でアメリカから帰つた韓国人に金一、〇〇〇、〇〇〇円で売り、他の一本は金沢市内に預けてある」とあり、証人村井朗の証言によつて真正に成立したと認める乙第七号証(山城キヨに対する質問応答書li昭和三二年一月一六日附)によると、「原告が訴外山城礼班と婚姻した際、礼班の実兄が朝鮮からわざわざ花瓶四本を持つてきて贈与してくれた。一本は壊われ、残三本を昭和二四年頃山代町の原告宅で江原淳に金一、二〇〇、〇〇〇円で売り、原告がその場で右江原から代金として現金一、二〇〇、〇〇〇円を受取り、これを右礼班に渡した。」とあり、原告本人尋問の結果(昭和三四年九月四日附)によると、「礼班の兄から祝品として花瓶三本をもらつた。一本は壊われ、残二本を山代町の原告宅で江原と一緒に来た東京の道具屋に売り、代金一、二〇〇、〇〇〇円を全額その場で受取つた。」とあり、証人山城礼班の証言(昭和三三年九月五日附)によると、「礼班の実兄が朝鮮から山代町に来て高麗焼花瓶三本を原告に贈つた。一本が壊われ、二本を金一、二〇〇、〇〇〇円で江原淳に売つた。その代金は山代町か福井で二度にもらつたと思う。東京でもらつてないと思う。」とあり、証人山城小太郎の証言によつて真正に成立したものと認める乙第三号証によると、原告と礼班とが同棲してから礼班の身内の者が山代町に来たことがないことが認められ、証人広田松繁の証言並びに鑑定人広田松繁の鑑定の結果によると、昭和二三年、二四年頃の高麗焼花瓶の高級品は金一〇〇、〇〇〇円ないし一五〇、〇〇〇円であること、昭和二四年に稀に高麗焼の箱で金一、〇〇〇、〇〇〇円で東京国立博物館におさめたものもあるが、そのような高価な品物になると国内では誰がどのような品物を持つているか判るし、かかる品物の取引には大抵商売人が仲介するが、江原淳が高級骨董品の商売人として名がきかれなかつたことが認められ、証人田中作太郎の証言並びに鑑定人田中作太郎の鑑定の結果によると、昭和二四年頃の高麗焼花瓶の高級品は金一五〇、〇〇〇円ないし金二五〇、〇〇〇円であり、昭和二六年東京国立博物館で世界に四本きりないと謂われる高麗焼の箱を金一、〇〇〇、〇〇〇円で買上げたことがあり、また昭和二六年世界に一本きりないという高麗焼が東京の或所蔵家から大阪の人に売られたのが金六〇〇、〇〇〇円を超えたろうと噂されたことが認められる。右の如く関係者間においてのみならず同一関係者の各供述間においても、原告主張の高麗焼花瓶の売買場所、代金決済方法、交渉当事者、転売先等の点で供述に相違があり、また原告主張の高麗焼花瓶が当時その主張の如き高価で売買されることが稀有に属し、訴外江原淳が高級骨董品商としては名が知られておらなかつた点等に鑑みるときは、原告の右主張事実はこれを措信することができない。

六、よつて昭和三一年五月三一日小松税務署長が原告に対して相続税法に基ずき昭和二九年度贈与税決定額金一五二、五〇〇円並びに無申告加算税金三八、〇〇〇円となした贈与税賦課決定並びに被告が昭和三二年三月五日なした原告に対する昭和二九年度贈与税決定に対する審査請求棄却の決定はいずれも相当であつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田正武 松沢二郎 畑郁夫)

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